漢方でなんとかしたい!

中医学講師30年。漢方や中華圏の文化とか書きます。

仏教と漢方(2)

聖徳太子

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熱心な仏教信者だった聖徳太子は難波に四天王寺をたて、境内に施薬院(薬草の栽培、調合、施す)、悲田院(孤児、廃子の収容)、敬田院(僧尼の療養所)を設けました。

推古天皇19年(610)5月5日、大和の菟田野で天皇は薬狩りとして鹿狩りをし、鹿茸を採集し、毎年5月5日が薬日に定められましたが、やがて仏教の影響で薬草採取になっていきます。

日出るところの天子、書を日没するところの天子に致す。恙なきや

聖徳太子は小野妹子を隋に派遣します。「蛮夷の書、無礼なるものなり」と怒った煬帝でしたが、返礼使として裴世清を来日させます。裴世清が帰国する際には、小野妹子を大使として学生、僧を随行させています。これが中国への留学の始まりです。

これから朝鮮半島からではなく中国からダイレクトに医学が伝わるようになったわけです。

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