中医心理学の柱のひとつに「神形合一論」があります。神とは精神であり宗教の神様の意味ではない。形は身体です。この2つは離れることはできず精神が作用するには身体が必要であるし身体も精神があって活動できる。また「五志七情論」では七つの感情(喜、悲、憂、思、怒、恐、驚)がある一定の条件下で身体に影響を与える、たとえば思い過ぎは胃潰瘍になるとか怒り過ぎで血圧が上がります。逆に言えば身体の異常は精神にも影響を与えます。たとえば肺病の人は悲しみやすいし、腎臓病の人は怖がりです。
五行学説で五臓と五志を当てはめると、心(喜・驚)、肺(憂、悲)、脾(思う)、肝(怒)、腎(恐)になります。ここからその人の性格から臓腑の状態を推測することもできるのですね。
江戸から明治に変わった頃、幸助さんはなんと言っても喧嘩の仲裁が大好きで、どこかで喧嘩がないかいつも見回っています。人がもめているところに入っていって「俺を誰だかしってるか?」と聞き「あんた、割木屋のおやっさんでんな」と言われるのが嬉しくてたまりません。機嫌が良くなった幸助さんはその後は「いっぱい飲まそう」と二人を料理屋に連れて行って仲直りをさせるのです。もちろん料理や酒代は幸助さん持ちですが、これが彼の只ひとつの道楽なのです。
【七情理論からの解説】
肝臓は将軍の官とも言われていますが、体全体の気の流れを調節する臓器です。気持ちが良い状態だと気もスムーズに流してくれますが、思い通りにいかないことがあると気の流れを止めてしまいます。これを「肝気鬱結」と言います。「肝気鬱結」の状態だと人はイライラして短気になります。しかし一旦自分の思い通りになると気は再び流れ気分は良くなります。幸助さんは喧嘩がないときは狗の喧嘩まで仲裁に入ったということですからよほど肝臓の気の流れが悪くなっているのでしょう。
幸助さんが「稽古屋」の前を通りかかるとちょうど浄瑠璃の「お半・長右衛門」の練習中。嫁いびりの場面。それが耳に入ったから堪らない。すぐに稽古屋の中に乗り込んで仲裁に入ろうとするが、驚いた師匠がこれは「おはんちょう」で京都の話だと説明するが、実際の話しだと早合点した幸助さんは京都に向かいます・・・。
短気で人の話をよく聞かない、とにかく仲裁しないと気が済まない幸助さんは肝気鬱結症でしょう。肝臓の状態がよくありませんが、こうした臓器の状態から人の性格が決まることもあるんです。
桂文珍 胴乱の幸助