仏教伝来538年 by 四谷大塚
四世紀の中頃、大和朝廷は国土の大半を統一し、九州をおさえ、朝鮮半島に進出し百済をしたがえ「日本府」をおいています。
北恭天皇は身体が弱く即位にあたって、帝位につくのは難しいと辞退されましたが、温厚な人柄から皇后、豪族から即位を望まれやむなく天下を治めることになりました。
このとき(414)新羅王から貢物を満載にした船が81艘献上され、その船団を宰領していたのが調使(みつぎのつかい)の金武でした。
彼は医学にも詳しく天皇の持病をすっかり治し、恩賞を頂いて帰国します。
これが日本と朝鮮医学との最初の接点になります。
以降、天皇は朝鮮から医師、書籍などを朝鮮に要請しています。
朝鮮からの人の往来により日本に帰化する朝鮮人が増えましたが、仏教信者もおりひそかに仏像を祀り礼拝する者もいました。
欽明天皇13年(552)、百済の聖明王は仏教、経典を献上し、公式に仏教が伝えられたということになります。
当時は現世利益の小乗仏教で医薬とも関係が深く、「金光明最勝王経」なかでもその除病品(じょびょうほん)は疫病が流行するときには各寺院で盛んに唱えられるようになりました。
羽田先生の本 地球のほとけ お地蔵様